微笑ましいお茶会
コンピューターの熱が更にそれをヒートアップさせている。出がらしの茶を実に不味そうに飲みながら神宮寺巌(じんぐうじ いわお)は人相の悪い顔で書類とにらめっこしている。かれこれ20分にもなる。
先ほどから見てはいるがどうにも頭の中に入ってこない。なにを考えても5日前に出会った少年の顔ばかりが浮かんでくる。
気味の悪い少年だった。あの「自分はなんでもわかっている」といったような口調や表情を見ているとなにか底の知れないような、人間でないような感覚がしてならなかった。最近の6年生は一体こういうものかもしれないが、それを置いてもあの少年は気味の悪いほどによく出来ていた。子供というのはもっと愚直で馬鹿で楽しんでいるものだと思い込んでいただけに、あの少年の声や言動は巌にとって不気味と感じられたのだ。
「相変わらず凄い顔していますね、おじさん」
それは若い男の声だった。その声で巌はふと現実に引き戻される。巌は舌打ちした。
「黙れ、俺とお前とでは4つほどしか年変わらねえじゃねえか」
「4つも年が違えば立派なおじさんです」
その声の主が、空きだった巌の隣の椅子に腰をかける。大層ハンサムな顔立ちの男は、巌のほうに椅子を向き直った。
「じゃあ手前が29歳になったらおじさんなんだな」
「どうでしょう。ボクは29歳にならないかも、永遠に」
このような冗句ともつかない言葉を発するは、伊呂波英治(いろは えいじ)である。25歳になったばかりのまだ新米の彼は、肝っ玉がでかいのか物怖じもなく、何故か巌に付きまといこのような失礼な物言いをするのだが、巌はなかなかどうしてこの男を嫌いになれなかった。英治はウィットに富んでいて会話していて飽きない。弁の立つ悪ガキがそのまま大人になったかのようである。階級に上下があるにせよ頭の良さからいえば明らかに英治のほうが上であった。英治は博学で知的であり、聞けばなんでも答えてくれた。
「いい加減におじさんっていうの辞めろよ」
「おじさんはおじさんでしょう。なにを辞めるといいますか」
おじさんというの彼のニックネームである。正確にいえばおじさんではなくおっさんである。名前であるいわおの後ろをとっておっさん、と実にシンプルなそれに巌は辟易した。おっさんというがまだ20代だ。もうすぐ30にはなるが、しかしながらまだおっさんと呼ばれる年ではない。たとえ渾名としてでも気分が悪い。しかし命名した上司である岩井真吾は悪びれもせず使い続け、今ではみんなその呼び名で統一されている。では何故英治だけおじさんと呼んでいるかといえば、おっさんは下品だ、ではおじさんならばどうかというただそれだけの理由であった。
そうやってお決まりの会話をした後、巌はまた厳つい顔つきに戻った。そうするとまたあの少年の顔が浮かんできた。
「そういえば解剖の結果まだなんでしたね」
英治がそう切り出したので巌は頷いた。
「痛いの損傷が激しいってもんじゃなかったしな。ミイラになってりゃ時間もかかる…」
例の事件が起こり、もうじき2週間になろうか。身元がすぐに割れないような酷い損傷―ミイラなった遺体を解剖し身元確認されるのは最低1ヶ月近くかかるという。一体誰が犯人か、この死体は一体誰だったのか―。マスコミは全国の野次馬の強い味方です!と言わんばかりに囃し立て、今日もニュースで話題にしている。毎日毎日飽きないものだ。警察としても、マスコミは大きな味方であり、また同時に敵であった。与えられるものも大きいだろうし、与えるものも大きく負担だ、巌は苛立たしげに髪の毛をごりごり掻きながら深いため息をつく。
「あーあ、数少ない髪の毛がむしられたことによってまた少なくなっていく」
「少なかねえよ!まだ大量に生えてんだろ」
「そう思っているのは本人だけかもしれませんよ。ほら、後頭部なんかが…」
「てめッそれは禁句だろうがあ!」
傍から見ればじゃれ付いている悪ガキのように見える。牧瀬理穂(まきせ りほ)がその光景を見ながら飽きずに今日も笑っていた。理穂が来たということは、いつの間にかブレイクタイムになったのだろう。理穂はこの時間帯になるとコーヒーを持ってきてくれる。
「今日はお茶菓子も入りましてね。3人でお茶でもしませんか」
理穂が紙袋を掲げてみせる。百貨店で買ったもののような高級感のある紙袋だった。こちらでは見たことのないものだ。
「伊勢丹のREDの袋じゃないですか、それ。今流行で簡単には入手できないはず」
「凄いわ。流石ね、伊呂波くん」
デザインのように見えていたものは実は店名のロゴであったようで、巌はよくよく見てもわからなかった。伊勢丹といえばこちら側でいえば東京だろう。
「友人に頼んだんです。REDは元々海外のお店で日本に輸入されるのはこれが初めてでしてね。派遣会社で友人が働いていて、上手い具合にそのお店に当たったというわけです」
わざわざ東京の友達から取り寄せた高級品の菓子は、白いマシュマロであった。「ギモーヴっていうんですよ、それ」違いがわからぬがどうやら大変珍しい菓子であるには間違いなかった。弾力性があり、巌は何度も手で押してそれを楽しむ。そうすると荒れた心がすっとその菓子に溶けていくような感じがして、幾分か気分も収まった。
そうやって暫くの間和やかにブレイクタイムを楽しんだのち、理穂はコーヒーを一口すすり
「被害者の話ですが」
真剣な口調でそう切り出し、愛用のマグカップを音も立てず机においた。
「私は加害者がなんらかの儀式のために被害者をミイラ化されたと考えています」
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